2019.6.28 中建日報 診断士が語る 戦争を経験した橋 10回目 爆撃に耐えた橋 民族紛争の橋 | プレス情報 | 広島県コンクリート診断士会

2019年6月28日 中建日報

診断士が語る 戦争を経験した橋 10回目 爆撃に耐えた橋 民族紛争の橋

2019年6月28日 中建日報 | 広島県コンクリート診断士会

ベトナム戦争(北爆)を経験した橋2

 これまで戦争で破壊された橋を紹介してきましたが、ベトナムには爆撃にも耐え、補修・補強されながら現在も多くの人に利用されている橋があります。
 それは首都ハノイ市のホン川に架かるロンビエン橋で、1903年フランスによる植民地時代に架けられた橋です。橋長1680m、19径間のワーレントラス橋で、建設された当時はニューヨークのブルックリン橋についで世界で2番目に長い橋と言われたそうです。
 ベトナム戦争中、65年からのアメリカ軍の攻撃目標とされ、繰り返し爆撃を受け破壊されながらもそのたびに修復されてきました。ベトナム戦争終盤では、空爆警報が出されるたびに、橋げたをバージに乗せて避難させ、橋が破壊されたままであるように偽装して守ったということです。

ロンビエン橋の現状

 2015年、ロンビエン橋を歩いてみました。橋は今も鉄道と歩行者、2輪車が通行する併用橋として多くの人に利用されています。ハノイ市街地側より対岸方面に歩いて行くと、手前は広い河川敷で何箇所か降りる階段がついていました。河川敷から見上げると、床版下面には当初なかったはずのトラス桁が追加補強されていました。また、鋼製の支持橋脚も追加されています。数えてみると当初の18橋脚から10脚追加され、19径間の橋となっていました。
 橋上では供用しながら補修作業が進められており、何人もの作業員がトラスの上部の足場の上に載って作業をしていました。下では別の作業員がリベット鋲を炉で加熱しており、加熱されたリベットは投げられて受け人に渡され、次々と打ち込まれていました。今では日本ではほとんど見られないリベット職人の技がここには残っていました。

宗教の狭間で破壊された橋

 旧ユーゴスラビアは、民族構成の複雑さと歴史的に多くの宗教が入り混じったことから、古来より紛争の絶えないバルカン半島に建国された国でした。第2次大戦後、先にネレトヴァ橋で人民解放軍を率いたチトー元帥(大統領)によって独立国となったのですが、チトー大統領の死後に求心力を失って分裂、内乱の連続で現在は7つの国に分かれてしまっています。
 そのうちボスニア・ヘルツェゴヴィナにあるスタリ橋は独立に向けての内戦の中、1993年に砲撃で破壊されました。理由は、この橋がトルコ帝国に支配されていた16世紀に建設されており、カトリック教徒がイスラム教の象徴だとして嫌ったためと言われます。この橋の右岸側にはカトリック系の住民、左岸側にはイスラム系の住民が多く住んでいたのですが、カトリック教徒はこのつながりを断ち切ってしまったのです。内戦終了後、橋は再建されて2005年に世界遺産となり、現在は治安も改善されて観光地となっています。
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