2019年6月10日 中建日報
診断士が語る戦争を経験した橋 8回目 橋に残る戦争の傷跡
ベトナム戦争(テト攻勢)を経験した橋1
ベトナム戦争は、1965年にアメリカ軍が北ベトナムのハノイの爆撃を初めてから1975年の撤退まで10年余り続きました。中でも1968年のテト攻勢は事実上、南ベトナムを支援していたアメリカ軍の敗北を決定付けた戦いと思われます。テトとは旧正月の祝日機関のことで、南北ベトナム軍双方、暗黙のうちに休戦期間とする慣例があったそうです。ところが、北ベトナム軍は1968年1月30日夜、不意を突いてベトナム全土にわたって攻撃を仕掛けました。この時の古都(1945年まで皇帝が住んでいました)フェ市での攻防戦は熾烈を極め、北ベトナム軍は一時、フォン川北側の王宮地域を制圧し、次にトランティエン橋を渡って市街地まで制圧しました。しかし、その後はアメリカ軍んぼ反撃で劣勢となり、フェ市からの撤退と同時にトランティエン橋を爆破したのでした。この戦闘で多くの王宮文化建造物が破壊されています。
橋に残る戦争の傷跡
トランティエン橋は、1899年にフランスのエッフェル社の設計で建設された美しい橋です。橋梁形式はプラットトラス形式で、1937年には両サイドに歩道が追加で取り付けられています。現在もフォン川を挟んで古都フェの王宮と市街地を結ぶ要衝の橋として、フエ市のランドマークとなっています。建設後間もない1904年には洪水で一度流されていますが、1906年に修復されています。
2014年、私は現地を訪れて当時の記録写真と重ね合わせて爆破はどこで行われたのか確認をしました。そして市街地側から3番目のコンクリート橋脚が新しく、当時の写真で二径間のトラス桁が拝みあうように河川内に落ちていることから、爆薬が仕掛けられたのはこの橋脚と確信しました。
再建は簡単に言えばこの二つのトラス桁を持ち上げ、橋脚を間に作り直して再設置すればよいことになります。そこで、川の中からどのように持ち上げたのか、その工事跡が見られないか探しました。再建、補修の跡は容易に見つかりましたが、明らかに爆破によるものとは異なる傷跡も多く見つけることができました。
それは銃弾が鉄骨を貫通している跡です。いつこの傷跡がついたのかは不明ですが、弾が飛んできた方向は空からと思われ、アメリカ軍の攻撃機からの被弾ではないかと推定しました。それにしてもすさまじい威力で、4枚重なった鉄板を貫通しています。私はこれまで橋を作り、維持することは考えてきましたが、橋を破壊することには無知であったことを知りました。